2006年01月02日

ソーレのスキー、これまでの流れ

初めて
 義理の兄貴にスキー一式を借りて、裏の田圃でクロカンごっこをしたのが最初だね。その翌日、菅平スキー場にてデビュー、それは高校3年のことであった。まーしかしなんて思いどうりにならないものか!  

  
大学時代
 おまえは長野出身なんだからうまいんだろうな。の言葉にげげっ しょれがーと言い訳していた1年の時代。その後高校の仲間と特訓して、どうにか滑れるカッコが付いてきた。このころから2年間ぐらいはこけまくりで、グローブを絞ると水がたれてきた。よくやってたもんだ。このころエコーバレースキー場がopenして記念にリフト券割引で1日券が¥2,500、安かったなー
 【私をスキーに連れてって】のブレイクの時代にちょうどこの辺が重なる。大学の仲間と志賀高原に3泊していたシーズンにこの映画があった。斬新だったなー。このツアーの思い出としては夕飯大食いチャレンジ大会!なんと昼をぬき8人でおひつ7杯食ってしまった。また帰りの大渋滞、夜10時に新宿着予定がなんとたどり着いたは始発の1時間前、つっかれた。このころは空前のスキーブームが始まった頃かな。渋滞は当たり前!
 ここ数年のスキー場離れ(ボードも含む)は全く想像できなかった。


社会人 その1
 卒業後地元に就職して引き続きスキーこんどは会社の仲間がメイン2年ぐらいは滑走日数20日以上。その後は彼女ができた為ペースダウンして年間5回ぐらいかな。そして6年間ぐらいはこのペース。この間に結婚、しかーし破局を迎えるのであった。


社会人 その2
 また独身に戻ったため、お金、時間に余裕が生まれた。じゃーまたスキーを気合い入れよう!で、今度はいままで自己流でだーと滑ってどてっと転けての繰り返しだった反省から、よしちゃんと習おう。県内TV局主催のスキースクールやスキー場のスクールなどから基礎スキーにはまっていく。そのころからパソコン通信niftyserve(ニフティーサーブ)にてスキーのフォーラムがあることを知る。平成8年2月SAJバッジテスト2級に合格!その後1級へのトライを重ねるが未だにとれない。


社会人 その3
 平成11年の2月、niftyserveのFSKIER 6番会議室のOFFラインツアーにて現在の師匠藍さんに出会う。目から鱗が何枚も落ちる結果となり弟子入りさせてもらう。そのころの藍さんの指導はまずエキストリームカービングによって、エッジ感覚を洗練させよう、ということだった。11年の8月には藍さん主催のニュージーランドツアーにも行って来た。へリスキーは楽しかったな。ふかふかの雪をファットスキー(幅の広い新雪用の板)をはいて誰のシュプールもない全くの新雪を舞うように。あーもう最高!。
 その後藍さんのもとで修行を重ね平成14年3月にやっとSAJバッジテスト1級に合格!

 それまで、またその後と、現在を絡めながら書いていきましょう。
posted by ソーレ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2000以前 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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