およそ2歳ぐらいで、半野良のところを主にえさをあげていた家の方が亡くなって、猫たちがばらばらになったのであるが、こいつだけ残っていた。妻はそのしばらく前から、かわいがってついには触るまで行っていた。
で、そいつを当時住んでいたアパートに入れた。それから14年ほど経った。
なお、白黒の柄で牛のホルスタインっぽいので名前が決まった。
正月明けにびっこひいていたので、なんだろうと思って病院。
なんと、心臓の壁が薄くなっていたりで血栓ができてそれが左足の付け根に詰まった。脚が冷たい。
その日は入院。
翌日になんとか退院したが、様子見てくださいね。必ず明日も連れてきてね。みたいな条件。
正月ぐらいから食欲が落ちている。そうだったのか、でお医者が5日ぐらいだったかな。
宝台樹にて3連休のパフパフ狙いの予定であったが、ちょっとそんな気になれずにお断りを入れた。
残念ではあるが、仕方ない。
なんとか持ち直して、左足びっこで過ごす。もうこのままなのかなあ。でも食欲がなく、普通のごはんは食べないし、チュールにしても大して食べない。自分では食べないんで、強制的に口に入れると飲み込んでいく。そんな感じで長くないなあと思った。
15日にはまた血栓が詰まったらしく、今度は両足が利かなくなった。妻と話して、もう強制的に食べさせるのもやめよう、自然に任せようとなった。
そういう時は、なにかやはり苦しいらしく、暴れる感じだ。
で、頭をなでてたら、がぷりとやられた。右手の小指の先。
妻は何回もかまれているが自分は初めてだ。早速に腫れてくる。これは翌日に朝から病院に行って、軟膏と抗生物質にて治療していく。
で、もぅもは、前足だけで動いたり、水のみにいったりトイレに行こうとしてみたり。なかなかにみているほうがつらい。
16日である。
夕方になって、ちょっといよいよかと妻がおいらのこたつに連れてきた。
用心しながらも撫でていたのであるが、どうもいよいよダメだ。
ああ、息しなくなったなあ。
もぅも ありがとう。さいごもおいらの胡坐の中だった。
ああ、悲しい、寂しいよ もぅも
二人して泣いていたが、妻はなんとか食事を作り、食べて寝た。
もぅもは今日も妻のベッドの脇に。
畑に埋めるかと思ったが、火葬するというので探した。地元のところは、合同葬で骨を持ち帰れないので、隣のところを予約。21000円でした。
翌日になった。
話をしては涙が出てという感じで17日はすぎた。えらく寒く感じる。
18日の朝から火葬場に。係の人は丁寧に扱ってくれた。ありがとうございます。
焼いている間に、朝食のおにぎり。
外を見たが、煙は見えなかった。
この日は、その後にお医者で指の手当て。猫は100%いろんな細菌があって必ずお医者にいかないといけない。
膿んだところを引っぺがされて、えらく痛かった。
痛いよもぅも。そんなことしなくても忘れないのに。
帰りには、少し遠回りして焼き場のほうを見ながら、セブンのコーヒーをいい景色のところで飲む。
おーい、見てるか。まあ、猫だからあまり外に連れまわしたりしなかったが、これが犬だったらいろんな場所が思い出してしまい大変だろうなあ。
翌19日もお医者。帰りに別の道のいい景色で同じように。まだ泣けてくるが、だんだんそれも少なくなってくるだろう。でも忘れないなあ。
さようなら もぅも
で、本日は21日。
指の腫れも何とかなってきて、グローブもはめられるのでスキー復帰。
【関連する記事】
思い出して涙するのも供養になるんじゃないかなと思います。
いつか良い思い出に昇華していくでしょう。
ほんとにありがとう。